東京地方裁判所 平成8年(ワ)24327号 判決 1997年10月31日
主文
一 被告らは、原告に対し、各自金三五万円及びこれに対する平成八年六月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを一五分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告らは、原告に対し、朝日新聞の全国版朝刊社会面に別紙目録一記載の謝罪広告を同目録記載の条件で一回掲載せよ。
二 被告らは、原告に対し、月刊誌「a」に別紙目録二記載の謝罪広告を同目録記載の条件で一回掲載せよ。
三 被告らは、原告に対し、各自金五五〇万円及びこれに対する平成八年六月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が、被告Y1(以下「被告Y1」という。)が執筆し、被告株式会社Y2(以下「被告Y2社」という。)が出版した「b」と題する作品(月刊誌「a」平成八年二月号から四月号に掲載されるとともに、単行本としても出版)の記述により名誉を毀損され、かつ、著作者人格権を侵害されたとして、被告らに対し、不法行為に基づき、謝罪広告の掲載及び損害賠償の支払を求めた事案である。
一 争いのない事実
1 原告は、新左翼の一党派の大衆組織であった「c団体」の最高幹部であったが、昭和四七年二月二八日、d事件の殺人等の被疑事実により現行犯逮捕され、平成五年三月九日、死刑判決が確定し、東京拘置所内に拘置されている。
2 被告Y2社は、雑誌、図書の印刷、発行及び販売等を目的とする株式会社であり、月刊誌「a」を発行している。
3 被告Y1は、「b」と題する作品を執筆し、被告Y2社の発行する月刊誌「a」の平成八年二月号から四月号にかけて三回にわたって連載した上、右に若干の加筆修正をして、平成八年六月三〇日付けで同名の単行本を被告Y2社から出版した(以下、これらの作品を総称して「本件出版物」という。)。
4 本件出版物には、別紙一及び二記載のとおりの記述がある。
5 被告Y1は、本件出版物において、原告の短歌を次のように引用している。
「○○」
右引用にかかる原告の短歌には、もともと読点はなく、被告Y1は、この読点を打つに当たり、原告の了解を得ていない。
二 争点
1 別紙一記載の記述の内、傍線を引いた部分の記述(以下「本件記述一」という。)は、原告の名誉を毀損したか。
2 別紙二記載の記述の内、「『濡れた布団の下に隠れていました』これがXだった。」との記述(以下「本件記述二」という。)は、原告の名誉を毀損したか。
3 被告Y1が原告の短歌に読点を打ったこと(以下「本件改変」という。)が、原告の著作物の同一性保持権を侵害し、かつ、原告の名誉を毀損したか。
4 原告の損害及び謝罪広告の要否
三 争点についての当事者の主張
1 争点1について
(原告の主張)
(一) 本件記述一は、これを読んだ一般人に対し、e事件、f事件、g事件を初めとして、右記述に掲げられた一六件に及ぶ爆弾事件が「c団体」の犯行であり、かつ、その構成員であるとともに最高幹部であった原告がこれらの爆弾事件に関与したとの印象を与えるものである。
したがって、本件記述一により、原告の名誉は毀損された。
(二) 名誉毀損の成否については、一般の読者が通常の読み方をした場合に、どのような印象を持つかを基準として判断すれば足り、筆者が断定しているかどうかは必ずしも決め手にならない。
被告らは、当時の警察当局やマスメディアの見解を紹介したに過ぎないと主張するが、警察当局の見解として紹介した場合には、「自ら見聞し、又は、取材した事実として報道した場合よりもかえって事実らしい印象を与えることになる」のであり、警察当局やマスメディアの見解を紹介したにとどまるという点は意味を持たない。
また、当時の見解を紹介したに過ぎないという点も、当時の見解をそれが誤りであることを注記せずに出版することは、その不法行為の違法性を強める事情になり得ても、名誉毀損の成立に関して法的に意味を持つものとはいえない。
(三) 犯罪行為については、検挙、起訴、判決、処罰を受けるのは、通常、個人であり、一般人の関心も個人に収斂するのが通常である。
とすれば、ある犯行が「c団体の爆弾テロ闘争」として行われたと記述されれば、それを読んだ一般読者は、その犯罪には最高幹部が関与しており、その指揮命令の下にその組織の構成員が実行を分担して敢行したとの印象を持つのが通常であり、被告らの主張は、少なくとも犯罪行為に言及したことによる名誉毀損の成否に関しては、失当というべきである。
また、最高幹部という点において、構成員の立場としても、比較的少数の構成員からなる集団について、具体的な該当者を特定することなくその集団の犯罪や不正行為の疑いを公表する場合、該当者の特定がない故に、かえって、構成員全員が世間からその疑いを持たれ、結局、構成員全員の名誉を毀損することになるというべきである。
したがって、一連の爆弾事件がc団体の犯行であるとの印象を与える表現は、原告が最高幹部であったということからも、また、原告がその構成員であったということからも、原告の名誉を毀損するというべきである。
(被告らの主張)
(一) 本件記述一は、爆弾事件があった当時の、被告Y1を含む警察当局及びマスメディアの見解を紹介したものであって、爆弾事件がc団体の犯行であると断定したものではない。
そして、読者は、右記述内容が、爆弾事件のあった当時の警察当局及びマスメディアの見解をその前提として取り上げていることを了解し、被告Y1において爆弾事件をc団体の犯行であると主張しているわけではないことを理解するから、本件記述一自体により、原告の名誉が毀損されることはない。
(二) また、一般的に、法人格の有無は別として、社会的に実体のある団体の行為は、当該団体そのものの行為として理解され、そのまま当該団体に所属する者の行為として理解されることはない。
特に、政治党派の場合には、単にある犯行が政治党派によってなされたということによって、その犯行とその政治党派の最高幹部とが結び付けられるものでないことは、現代の日本社会において一般的に承認されていることである。
とすれば、団体の名誉を毀損する表現がなされたとしても、そのことによって、当該団体とは別個の存在として認識されている自然人の名誉が毀損されることにはならないというべきである。
本件については、爆弾事件の当時、原告は、c団体の最高幹部ではあったが、c団体はその名において声明を発表し、集会を催すなどの活動を行い、一般社会の中で実体のある団体として認識されていたのであって、c団体と原告とは別個の存在であると認識されていた。
したがって、仮に、本件記述一において、原告と別個独立の存在であるc団体について、「ある爆弾事件はc団体の犯行である」との記述があるとしても、それ以上に、原告が爆弾事件で逮捕され、あるいは、起訴されたという記述がない以上、一般人が、本件記述一を読んだときに、原告が爆弾事件に関与していると認識することはない。
2 争点2について
(原告の主張)
(一) 本件記述二は、これを読んだ一般の読者に対し、原告がd事件での逮捕時に、逮捕を避けるため、あるいは、銃撃戦におびえて、布団の下に隠れていたとの印象を与えるものである。
そして、本件出版物では、全編にわたって警察官の勇敢さをことさらに強調し、それに対比する形で、逮捕時の状況につき、逮捕された長髪の犯人が、「わめき散らし、ワァワァ泣いている」という描写と、原告が布団の下に隠れていたという描写をおくことで、原告を含む犯人たちが卑怯で臆病者であるとことさらに印象づけるものである。
したがって、本件記述二により、原告の名誉は毀損された。
(二) 原告は、事件当時、「銃による遊撃戦」「革命戦争」を標榜していた党派の幹部であり、警察側と長期間にわたる銃撃戦を行っていたものである。このような者に対しては、もともと勇敢な行動が、自らの行動規範としても、第三者の目からも期待されている。
現に、原告は、d事件等に関する刑事事件の一審判決の理由中でも、生きて逮捕されたこと自体が恥だとまで評価されている。
このような立場にある原告については、逮捕時に布団の下に隠れていたなどということは、明らかに恥であり、社会的評価の低下につながるというべきである。
加えて、本件出版物においては、前記のとおり、全体として、勇敢な警察官と卑怯な犯人という対比構造がとられており、警察官の勇敢な姿勢を読まされてきた読者は、逮捕時点において犯人が泣きじゃくっていたというエピソードと、原告が布団の下に隠れていたというエピソードを読まされることで、決定的に原告に対する軽蔑感・失望感を抱く構造になっているのである。
逮捕を避けるための行動が、一般の場合にそれほど社会的評価の低下につながらないとしても、このような作品の構造の下では、特に社会的評価の低下につながるというべきである。
(被告らの主張)
本件記述二は、被告Y1が、「原告が、濡れた布団の下に隠れていました」との報告を受けた旨を述べるものであって、それを読んだ読者に、原告がおびえていたような印象を与えるものではない。
また、本件記述二によって、原告が逮捕を避けようとしていたとの印象を読者が受けたとしても、逮捕されようとする者が逮捕を避けようとすることは、通常よく見られるところであり、原告が逮捕を避けようとして何らかの行動を採ったと読者が理解しても、そのことによって、原告に対する社会的評価が低下することはあり得ない。そして、d事件では、機動隊がh荘に入る前に大量の放水がなされていたのであり、中にいる者はこの放水を防ぐために布団をかぶっていたのであるから、原告が濡れた布団の下にいたというのは極めて自然である。しかも、原告の逮捕状況について記述されているのは、本件記述二の部分だけであり、ことさらに、原告が怯懦だったとか、卑怯だと記述されているわけでもない。
3 争点3について
(原告の主張)
(一) 短歌は、極めて字数の少ない作品であるため、一字変えただけでも意味、歌の味わい、価値が大きく異なってくるところ、被告Y1の勝手な改変により、原告の短歌は著しく味わいを失った。
また、短歌に読点を打つ歌人は、常識的にはおらず、さらに、右引用にかかる読点の打ち方は、通常の日本語の読み方とも異なるものである。
とすれば、右引用文は、これを読んだ一般人に対し、朝日歌壇で度々一席に選ばれ、歌集も出版している原告が、このような味わいのない短歌を発表し、あるいは、短歌に句点を打つような歌人としての常識のない人物であり、読点の打ち方からも通常の日本語能力に欠ける人物であるとの印象を与えるものである。
したがって、本件改変により、原告の著作物の同一性保持権(著作権法二〇条)が侵害され、かつ、原告の名誉は毀損された。
(二) 被告ら主張のケースは、いずれも出版物の字数・行数の制約の下で引用するという必要性があり、そのような慣行があって、かつ、読者もそのように理解するところである。
これに対して、本件では、そういった字数・行数の制約とは全く関係なく改変が行われたものであり、また、短歌を引用する際に勝手に読点を打ってよいなどという慣行は全くない。
したがって、読者も、被告Y1が勝手に改変したとは理解せず、原作に読点が打たれていると理解するものである。
また、読点は、その性質上、その打ち方により文の意味が変わるものであることは常識であり、改行の場合よりもはるかに大きな意味を持つ。しかも、短歌はその字数の少なさ故に、一般の文であれば微細と思われるような改変であっても重要な意味を持つのである。
したがって、短歌に読点を打つことは、決して微細な変更とはいえない。
(被告らの主張)
他人の詩歌を引用するに当たって、発表されたそのままの形ではなく多少の変更を加えることは時として見られることである。たとえば、長い詩を引用する場合には、行をいちいち分けることはせずに、間に斜線を入れて行が変わることを示すことが慣例的に行われているし、石川啄木の短歌のように、三行に分けて発表されたものであっても、一行にしてしまうということもある。
しかし、これらの微細な変更が同一性保持権を侵害するとは考えられていない。
本件では、被告Y1は、月刊誌ないし単行本の読者が、必ずしも短歌に慣れているとは考えられなかったことから、その理解を助ける意味合いもあって読点を加えたものである。ことさらに原告の短歌の価値を減じさせようとしたものでないことはもちろん、現実にもそのようなことは起きていないのであるから、このような微細な変更では、損害賠償を必要とするような同一性保持権の侵害があったとはいえない。
2 争点4について
(原告の主張)
(一) 被告Y1は、原告の名誉を毀損し、原告の著作者人格権を侵害する記述のある本件出版物を執筆し、被告Y2社は、これを月刊誌「a」に掲載し、単行本として出版した。
(二) 被告らの本件不法行為により、原告は、名誉を傷つけられ、著しい精神的打撃を受けた。
そのため、原告は、右名誉を回復するための措置として前記謝罪広告の掲載を求めるとともに、右精神的苦痛に対する慰藉料として少なくとも五〇〇万円の支払を受けることが必要である。
原告は、本件訴訟の提起・遂行を原告訴訟代理人に依頼したが、その弁護士報酬の内金五〇万円は、被告らに負担させるのが相当である。
(被告らの主張)
原告の主張はすべて争う。
第三当裁判所の判断
一 争点1について
1 本件記述一が原告の名誉を毀損するか否かは、一般読者の通常の注意と理解の仕方を基準として、記述内容自体が名誉毀損事実の存在を読者に印象づけるか否かによって判断すべきである。
この点、被告らは、本件記述一は爆弾事件発生当時における被告Y1を含む警察当局及びマスメディアの見解を紹介したものに過ぎない以上、一般読者は、爆弾事件がc団体の犯行であるとの印象を持つことはなく、原告の名誉が毀損されることはないと主張している。そこで、一般読者が、本件記述一を読んだときに、どのような印象を持つと考えられるのかについて検討する。
2 証拠<省略>によれば、本件記述一は、以下のような文脈における記述であることが認められる。
まず、赤軍派が爆弾闘争を展開していったとの記述がなされた上で、「i事件で射殺されたAの復讐戦とみられるc団体の爆弾テロ闘争がそれに加わった。」との記述がなされ、右各記述に続いて爆弾事件の事件名が列挙されている。
次に、昭和四六年一〇月二三日夜から二四日未明にかけての爆弾事件についての記述がなされた後、i事件の一周年記念日の一二月二三日に、「c団体は、十月二十三日夜のように総力をあげて警視庁に復讐戦を挑んでくるにちがいない。」との記述がなされ、右記述にある一二月二三日にB邸が爆破されたという事件についての記述の後、右事件が、「c団体の犯行と推定された。」、赤軍派とc団体は、銃による遊撃戦勝利を声高にアジっていたが、「さすがにg事件の犯行声明は出されなかった。」との記述がなされている。
そして、右記述においては、記述内容が被告Y1等の当時の見解を紹介したものに過ぎないと明言されている部分は存在しない。
3 以上のような記述内容及び記述順序を前提に検討するに、本件記述一のc団体に関する部分は、そのほとんどが断定的記述であり、また、「さすがに・・・声明は出されなかった。」との表現は、c団体がg事件を敢行したが、声明までは出さなかったとの趣旨に読める。このように、本件記述一は、何の留保を付けることなく、一連の爆弾事件がc団体の犯行と認められたかのような記述内容となっており、一般読者がこれを読んだときに、右記述が単なる被告Y1等の当時の見解を紹介したものであると理解するとは到底思われず、かえって、右記述における一連の爆弾事件が、現実にc団体によって引き起こされたとの印象を持つものといわざるを得ない。
したがって、被告らの右主張は採用できない。
4 次に、被告らは、仮に一般読者が、c団体が爆弾事件を引き起こしたとの印象を持つとしても、それによって、原告「個人」の名誉が毀損されることはないと主張する。
しかし、この点についても、一般読者の印象を基準に判断すべきところ、本件記述一においては、c団体が爆弾事件を敢行したとの印象を持たせる記述の直後に、原告を含む幹部らの氏名を列挙して、連合赤軍結成に際し、c団体から右幹部らが連合赤軍の中央委員として選任されたとの記述がなされている。
このような記述を読んだ一般読者は、爆弾事件が、c団体という「団体」によりなされた行為であるとの印象を持つことに加え、団体の構成員、特に最高幹部である原告の行為(少なくとも原告の関与による行為)であるとの印象まで持つといわざるを得ず、被告らの右主張は採用できない。
5 以上より、本件記述一は、一般読者に、爆弾事件が原告を含む幹部らによってなされたとの事実を印象づけるものであって、原告の社会的評価を低下させるものと認められる。
二 争点2について
1 本件記述二が、一般読者に、原告が卑怯で臆病者であるという印象を与え、原告の社会的評価を低下させたといえるかどうかについて検討する。
2 証拠<省略>によれば、原告は、警察がh荘に突入し、一、二階を制圧した後も、逮捕される直前まで、連合赤軍の他のメンバーと共にh荘の三階のベッドルームにバリケードを築いて立てこもり、銃などを使って警察に抵抗していたこと、警察側は、原告が立てこもっているベッドルームに対して、h荘の外から催涙ガス弾を撃ち込んだり、延長ホースを使って多量の放水を行ったりして抵抗の抑圧を図ったこと、そして、何回かの放水の後、ベッドルームに数名の機動隊員が突入して、原告らを逮捕したこと、本件出版物における記述は、逮捕に至るまでの右のような状況を述べた後に、原告が他のメンバー四人の逮捕にやや遅れて逮捕されたとし、その逮捕の際の具体的状況が本件記述二のようであったとしていることが認められる。
3 右認定事実を前提に検討するに、一般に、逮捕されようとしている者が、逮捕を避けようとするのは通常よくみられることであり、そのような行動は、とりたてて臆病な行為であるとは考えられていない。特に、本件では、原告らは、警察の逮捕行為に対して徹底的に抵抗していたものであって、最後の瞬間まで機動隊に逮捕されることを避けようとして何らかの行動を採ることはむしろ自然なことである。したがって、機動隊員がベッドルームに突入した後に、それまで抵抗を試みていた原告が、布団の下に身を隠したとしても、一般読者の通常の感覚を基準とすれば、そのことから原告が臆病であり、卑怯であるとの印象を抱くものと断ずることはできない。
もっとも、本件記述二は、原告より前に逮捕された連合赤軍のメンバーの一人が泣きわめいたとの記述の後に、原告が隠れていたのが「濡れた布団」の下であったという表現を用いており、これらを併せて読めば、原告を含む連合赤軍のメンバーが、最終的に逮捕された際にはいわば人間的弱さを露呈したとの印象を与えかねないものとなっている。
しかし、右の記述は単に連合赤軍のメンバーも通常の人間と何ら異なるところがないということを強調しているに過ぎないと見ることもできるのであって、濡れた布団の下に隠れていたとの表現も、原告が逮捕の直前にベッドルームに立てこもり、警察側はそのベッドルームに向かって放水をしたとの事実に照らせば、ことさら悪意によるものとはいえない。そうだとすると、右のような表現があるからといって、それが原告の人格を貶め、侮辱するものと捉えるのは一般読者の感覚を超えているといわざるを得ず、本件記述二が原告の社会的評価を低下させるものということはできない。
この点、原告は、本件記述二の発表当時、原告は、一般人から勇敢な行動を採るべきことが期待されていたことから、右記述によりかかる原告に対する社会的評価が低下したと主張するが、右記述の発表当時、原告が、一般人からみて特に勇敢な行動を採るべきことが期待されていたことを認めるに足りる証拠はなく、また、原告の主張する刑事事件の一審判決の記載も単なる量刑の理由の一部に過ぎないものであって、原告が一般的に「勇者」でなければならないことの理由となり得るものではなく、原告の右主張は採用できない。
4 よって、本件記述二は、原告の社会的評価を低下させたとはいえず、原告の名誉を毀損したとは認められない。
三 争点3について
1 著作権法二〇条一項は、著作者はその著作物及び題号について同一性を保持する権利(同一性保持権)を有すると規定しているが、右にいう「変更、切除その他の改変」とは、著作物の外面的表現形式に増減変更を加えることを意味するものと解される。
そして、被告Y1による本件改変は、短歌という極めて字数の少ない表現形式に二つもの読点を加え、しかも、この読点の打ち方も理解を助けるものではないといわざるを得ないものとなっている。このような改変を、原告の了解を得ずに、その意思に反して行った以上、短歌の外面的表現形式に増減変更を加えたものであることは明らかであり、被告Y1の本件改変は、原告の著作物の同一性保持権を侵害するものと認めるべきである。
2 次に、原告は、本件改変により、原告の名誉が毀損されたと主張する。
しかし、本件改変によって、右短歌の文学的価値に影響があるとしても、そのことから直ちに、一般読者が原告の歌人としての常識まで疑うとはいい難い。本件出版物は、もともと、d事件という特異な出来事を警察の側から記録したものに過ぎないものであるから、その中に原告の心境を紹介するために短歌を引用しても、一般の読者が、その短歌の文学的価値に着目してこれを読むことは稀であって、本件改変によって、その作者の常識あるいは日本語能力にまで読者が思いをいたすことは通常ないといえよう。そうだとすれば、本件改変により原告の名誉が毀損されたとまで認めることは困難であるといわざるを得ない。
四 争点4について
1 本件記述一が、原告の名誉を毀損し、また、本件改変が、原告の著作者人格権を侵害するものであることは前記認定のとおりであるから、被告らは、不法行為責任を免れない。
2 そして、本件記述一及び本件改変の内容のほか、本件出版物が出版されたのは、d事件発生から約二〇年後、原告の死刑判決確定からも約三年後のことであり、原告の社会的評価は既にある程度低下した状態にあったこと、本件出版物における短歌の引用は、短歌自体の評価を特に問題としたものではないこと、本件出版物の単行本第一一刷(平成九年二月一〇日付け)からは、原告の短歌から読点を外していること等、本件証拠に現れた一切の事情を総合的に勘案すると、原告が右不法行為によって被った精神的苦痛を慰藉するための金額としては三〇万円が相当であり、また、本件相当因果関係があると認めるべき弁護士費用の額は五万円が相当である。
なお、原告は、そのほか、原告の名誉を回復するためには謝罪広告の掲載が不可欠であると主張するが、前記認定の事情を勘案すれば、損害賠償に加えて謝罪広告の掲載が必要であるとは認められない。
第四結論
以上によれば、原告の本訴請求は、被告ら各自に対し、不法行為による損害賠償として金三五万円及びこれに対する不法行為の日である平成八年六月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
別紙 目録一・二<省略>